News Letter No.45 - May 2006 -
 
 書評コーナー 
「がんでも私は不思議に元気」
絵門ゆう子著
新潮社, 2005

東京大学大学院医学系研究科
高橋 都


 本書は、「がんと一緒にゆっくりと」(新潮社, 2003年)で自らのがん体験を赤裸々に綴った絵門ゆう子さんの手記第二弾である。絵門さんのことは、朝日新聞で連載エッセイ「がんとゆっくり日記」の著者として知る方も多いだろう。2年半92回にわたった連載の最後の掲載は今年の3月30日。「経過報告は、次回も続きます。」としめくくられていた。その後4月3日夜に旅立たれたという。
 一読して、何という正直な本だろう、と思った。本書のはじめに、朝日の連載エッセイが好評な理由について彼女はこう書いている。「(患者は)愚痴を言うのは恥ずかしいことだと堪え、乱れた気持ちを自分の中でなんとか処理し、表現せずにいる場合がほとんどなのだろう。だから、恥も外聞もなく開き直って書いている私の文章が、ある種、みんなの声を代弁したり、“私はこれほどひどくない”と笑ってもらえたりして、気持ちを楽にできている面があるのだ」。しかし「毒々しさが嫌がられて読んでもらえなければ意味がない」ので、一度書いた文章を一週間かけて修正し、オブラートにつつむのだという。「だからこの本には、“ゆっくり日記”よりさらに本音をえぐり、心の奥に生まれた罵詈雑言についても書いていこうと思う」「患者になった時に向き合う現実を伝えるものが、あまりに少ない。私は、そこを伝えたいと思っている」。マスコミで入手できるがん情報には「何枚か衣を着重ねた“きれいごと系”」のものが少なくないと絵門さんは指摘するが、この本にはまさに余計な衣をかなぐり捨てた本音の迫力があり、現在進行形の怒りや迷いがある。
 特に印象深いのは、絵門さんが白血病の少女まゆちゃんと一緒に絵本を作るエピソードだった。主人公の名は“うさぎのユック”。当初絵門さんは、からだにハンディキャップを持つうさぎのユックが、突然現れたライオンから兄妹たちを守るために自ら犠牲になり、天国に行ってからも彼らを助け続けるというストーリーをたてた。しかし、そのあらすじ案を電話で少女に伝えたとき、電話の向こうの彼女が主人公の死を察知して言葉を失っていることに気づいた。「葛藤の末、私は“死”を素敵なものとして、自分の中で解釈しようとした。・・・・その私なりの死生観が、葛藤している自分をなんとかコントロールしていたのだ。“うさぎのユック”には、そんな自分の死生観を盛り込んでしまった。しかし、まゆちゃんは無言を通すことで、それに抵抗した。そもそも私は、つらい病気と向き合っている人たちが読んで、前向きな気持ちになってもらえる物語を創りたかったはず。それなのに、頭で無理やり“死”を解釈し、そこに向かうことを美学にしようとしていた(60ページ)」。絵門さんは物語を練り直した。そして、主人公のユックが危険を冒して挑戦をし、みんなが助かり、その後奇跡のようにユック自身のからだも治るというストーリーに変えた。まゆちゃんは新たなストーリーを喜び、何枚も挿絵を描いた。彼女はのちに亡くなったのだが、その母は絵門さんに「もしユックが死んでいく話のままだったら、まゆはきっと、一枚も絵を描かなかったでしょう」と伝えたという(絵本「うさぎのユック」はその後、金の星社から2005年に出版された)。
 死は誰にでも訪れる新たなステージへの出発点かもしれないが、末期がんになっても生への執着を堂々と貫いていいのだ、“死を受け入れよ”“より良い死を迎えよ”などという声に耳を傾ける必要はないのだ、と絵門さんは言う。また、どれほど確率が低くても完治の希望を抱き、それを信じることはおかしいことではない、と強調する。「がんになると“死にたくない”“生きたい”“治りたい”と言うことさえ、はばかられる心理に追い込まれることがある。新撰組が潔く切腹することを美とし、死に行く強さと美しさを見せざるを得なかったような感じだ。・・・・・生きていける可能性を求めているとき、ケアする立場の人たちが発する“死を受け入れさせる”といった言葉や発想、雰囲気は患者の力を奪う。それは決して、患者を楽にはしないのである(93ページ)」。医療者との関係、夫との関係、仕事を依頼されることの喜びなどについても、読み応えのある本音が展開される。
 4月6日付けの朝日新聞には、絵門さんにエッセイ執筆を勧めた朝日新聞記者・上野創さんによる記事が掲載された。ご自身が精巣がんの治療を受け「がんと向き合って」(昌文社, 2002年)という本の著者でもある上野さんの記事には、「絵門ゆう子さん逝く 発信続け最期まで希望」という見出しがついた。まさにふさわしい見出しだと感じた。
 拾い読みではなく、最初から最後まで読み通すことでじわっと心に沁みる一冊。