「その日のまえに」
重松清, 文芸春秋, 2005 |
東京大学大学院医学系研究科
高橋 都
このところ、夜遅くまで開いている近所の本屋に立ち寄ることが多くなった。普段、本はオンライン書店で買うことが多いのに、最近なぜか、たくさんの本が並ぶ書棚を眺めたくなる。目的の本だけを選ぶオンラインと違って、思いがけない掘り出し物と出会うからだろうか。先日も平積みコーナーで、「その日のまえに」(重松清)、「十八の夏」(光原百合)、「椿山課長の七日間」(浅田次郎)、「東京奇談」(村上春樹)と、なんの脈絡もなさそうな4冊を買い、「その日・・」から通勤電車の中で読み始めた。
この単行本は7つの短編からなるが、妻を亡くす夫の立場から、妻が旅立つ日のまえ・その日・その日のあとのことが、丁寧に、丁寧に、綴られる。
“その日3部作”の前に4つの短編が収録されており、それぞれが単行本後半の3部作の中で有機的につながり、読者は「ああ、そうだったのか」と思いながら読む仕掛けになっている。すでにベストセラーになっているこの本の帯には「涙!涙!涙!!!」とか「今年読んだ最も感動的な小説」といった大袈裟な宣伝文句が踊るが、実際はもっと深く淡々と話は進行する。確かに、電車の中で読み続けながら何度も涙が出そうになったが、バシバシ瞬きをして何とか持ちこたえた。しかし、「その日のあとで」の最後近く、主人公が電車の中で亡き妻のことを息子たちに語るシーンで、とうとう落涙(彼らの前の席に座っているおばあさんの反応が、また泣かせます。詳しくはお読みください)。それにしても、3部作のなかでさまざまに語られる想いは、本当に大切な人を遺して逝かねばならない人、そして見送らねばならないすべての人の胸の内にあることだろう。それは、多くの場合どうにも言葉にできなかったり、決して人には話さなかったりすることかもしれない。この3部作は、人間のそういう部分を、主人公たちの言葉を借りて、見せてくれる。
小説家、畏るべし・・・。そう思いながら次の光原百合「十八の夏」をひらくと、「その日のあとで」のあとに、ひょっとしたら起きるかもしれないような短編(「ささやかな奇跡」)に出会った。さらに、その後の数日間は「椿山課長・・」を読みながら再び車内で泣き笑いをし、短編集「東京奇談」の「ハナレイ・ベイ」を読んで、母親の脇に立つ片足の息子の亡霊を波の上から見ているような気持ちになった。
立て続けに読んだあと、ふと気づくと、4冊とも「旅立っていく人」「遺される人」の話ではないか。買うときには、そんなこと考えもしなかったのに。
誰でも必ず、見送り、見送られる立場になる。それは、誰にでもわけへだてなく訪れることだ。自分にとってのその日の前、その日、その日のあとを思いつつ、その日のあとにも日々は続いていくことを教えてくれる一冊。
|